藤井風さんのGraceを初めて聞いた時、なんとも言えない穏やかな気持ちとなりました。Graceの歌詞を読んでみるとインド哲学にある「本当の幸せ」を得るためヒントを見つけることができます。Graceのミュージックビデオもインドを舞台としていますが、今回、インド哲学に基づいてGraceの世界を私なりに解釈したいと思います。
歌詞を見ていく前に、インド哲学の基本的な考え方をご紹介したいと思います。インド哲学は歴史も長く、わかりにくいところも多いですので私なりの解釈を含みますのでご容赦下さい。
この歌の中で「神」と読んでいるのは、古代インドのバラモン教の教えで「本当の自分=真我」です。真我に気付くためには、自我意識を手放さなければなりません。ここで言う自我とはお金や地位への執着心や他人との比較による嫉妬や自分をダメだと思う気持ちです。
真我に辿り着いた時、自分中心の見方から解き放たれ、他人も自分もなく、周りの人々の真我は自分と同じものであり、本質は皆一緒であると考えられるようになります。この考えは人間ばかりではなく、動物、植物、物質にも共通するものです。自分も他人も地球上の如何なるものも一緒なのだと思えると、他人のも動物にも自然にも優しくなれるし、大事なものと感じるようになれるのです。
それではGraceの歌詞を見ていきましょう。
Grace, grace, grace, grace
Grace, grace, grace, grace
Graceは神の恵みという意味です
声を枯らして 叫ぶ言葉もなくて
私はただ身を引いた あの陰から息を切らして 交わす言葉もなくて
私はただ微笑んだ 静かに目を閉じた
周りにいる誰か(他人)が悩んでいたり、苦しんでる姿を見ても何もできない自分がいます。
助けて神様
私の中にいるなら
二度とこの場所を
離れないで
本当の自分(真我)は私を助けてくれる大いなる存在、そんな真我が自分の中にいるはずなのに、それに気が付いていない自分がいる。そして自分の中から離れないでと願っている
だけど去るのはいつも私だった
あなたはいつも側にいてくれた
ただいま朝日 おかえり夕日
やっと共に 廻り始める
だけど自我によってお金や地位に執着してしたり、また他人との比較して妬みや自己嫌悪に陥ってしまうのは自分であり、真我であるあなたはいつも自分の中にいてくれたのに。
でもやっと自我を手放して真我に気づくことができたので、周りの世界に目を向けて本当に幸せに暮らしていける
あたしに会えて良かった
やっと自由になった
涙も輝き始めた
Aah
自分の奥深くにあった真我を見つけることができて、不安や悩みは消えてなくなり安らかな気持ちになれる
明日になれば さよなら
ああ儚い世界だ
何があろうとも
全てあなたの Grace
世の中は幸せも不幸もずっと続くものではない儚い世界(諸行無常)であり、どんなことが起きても偉大な力(神、宇宙)による恵みとして受け入れられる
Grace, grace, grace
Grace, grace, grace, grace
息もできずに 怯えた日々は遙か
彼方の空へ飛ばした 今や無敵
自我によって悩みや不安を抱えていた日々は過去のものとなり、今はずっと安らかな日々を送れている
あなたはわたし わたしはあなた
みんな同じと気付いた時から
僕らはみな等しく光ってる
自我を手放して周りの人々を見ると、心の深くにある真我は誰もが同じものを持っていて、僕らは皆んな同じだと気づいた 周りの人々も自分の真我として愛せるようになった
何が出来るかな
愛に従うのならば
出来ないことなど
何もないさ
周りの人々も自分の真我として愛せるようになった自分はもうできないことは何もない
外の世界にずっと探してた
真実はいつもこの胸の中
待たせてごめん いつもありがと
会いに行くよ 一つになろう
自我が強かった時の自分は幸せをお金、地位、名誉、容姿、評判といった外にある満足感を求めてきたが、今はもう違う 自分の内にある真我と共に生きていくことができるようになった
あたしに会えて良かった
やっと自由になった
涙も輝き始めた
Aah
明日になれば さよなら
ああ儚い世界だ
何があろうとも
全てあなたの Grace
何があろうとも
全てあたしの Grace
古代インドのバラモン教の教えで、ブラフマンという宇宙を支配する最高原理とアートマン(真我)という個人を支配する原理があります。これらは今日のヒンズー教に引き継がれる考え方です。真実の自己であるアートマンと宇宙の最高原理であるブラフマンとは同じものだ(これを梵我一如と言います)と気が付いた時、小さな身体が宇宙と一体になったような広々とした、とても安らかな気持ちになれるのです。
インド哲学に興味をお持ちの方は以下の本がおすすめです。


コメント